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鶯谷いまむかし
新坂(鶯坂)は、
上野の台地から、寛永寺霊園と上野忍岡中学校(上野公園18-20)の間を通って、
JR鶯谷駅南口の前へと下ってゆく坂だが、その移り変わりはなかなか興味深い。
新坂に建てられている道標によると、
『明治になって、新しく造られた坂である。それで、新坂という。
明治十一年(一八七八)内務省製作の『上野公園実測図』にある「鶯坂」がこの坂
のことと考えられ、少なくともこの時期には造られたらしい。鶯谷を通る坂だったので、
「鶯坂」ともいわれ、坂下の根岸にちなんだ「根岸坂」という別名もある。』
ということである。
江戸時代には、細い道であったようだ。
一番上の版画(井上安治)は、坂が造られて間もない頃の風景で、
坂を下る左側は寛永寺霊園、右側は赤土の小山のようで、遠方には筑波山が描かれ、
いかにもすがすがしい空気が感じられる。
真ん中の写真は、明治40年頃に撮影されたもので、
電柱がたくさん立てられ、人々の生活感が漂う「赤土の急坂」の様子が伝わってくる。
この急坂は、明治45年に鶯谷駅が開通して跨線橋ができるまで続いたそうで、
現在の坂は写真の通りなだらかである。
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